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コーヒーの栽培には最初の収穫までに5年以上の歳月がかかります。そして年に1度の収穫期を秋に迎えるのですが、小笠原諸島は、毎年、猛烈な台風の通り道となっているため収穫を迎えるまでに幾度も被害を受けます。
そして、収穫目前に被害を受け収穫ができなかったり、翌年も実をもつはずの枝が折れてしまうこともあります。それら被害を回避したコーヒーの実を一粒づつ手で摘み取り、収穫していきます。
収穫された実は手作業で果肉を剥ぎ中の実を取り出します。
取り出された実は洗浄されたのち、機械で乾燥するのではなく時間をかけてじっくりと天日乾燥されます。その後脱穀され、焙煎されて飲めるようになります。
多くの時間を費やし、また台風の被害などもあり、年間で約200kgの生産量しかないとても希少なコーヒーです。
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今回、各店で提供されるコーヒーは無農薬で栽培されたコーヒーです。
これは、野瀬農園のオーナーが小笠原は貴重な固有植物の宝庫でこれらを守っていくのも大切な責務と考えているからです。山の斜面の栽培地であってもこの地形をむやみに切り開こうとはせず、あるがままの自然に近い状態で栽培することを心がけています。
肥沃な土壌と南向きの斜面、豊富な水源を控えた立地はコーヒーにとって貴重な自然からの贈り物です。
そしてこの地に適応した固有植物がコーヒーの木が嫌う直射日光を遮り、防風林としても役立ってくれています。また、コーヒーの木は雑草が延びるのを抑えこの事が固有植物を守ることにもつながっています。 |
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コーヒーは赤道を挟んだ南北両回帰線25度にある約70ヵ国の国で生産されています。
この両回帰線で挟まれた地域は「コーヒーベルト」と呼ばれ、その気候や、自然環境からコーヒーの栽培に適しているとされています。
小笠原諸島は東京から南に1,000km、船で約25時間かかり、「コーヒーベルト」よりやや北に位置し、コーヒー栽培には不向きかと考えられていますが、海洋性の温暖な気候の為か、コーヒーベルトの生産諸国と同様に露地栽培が可能となっています。
また、日本での生産は明治11年に様々な熱帯植物が試験的に導入された際に一緒に栽培され、見事に成功したとの記録があります。 |
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「小笠原」コーヒーの歴史は明治11年に榎本武揚公の命により始まります。当時小笠原諸島には多くの熱帯植物が試験的に導入されました。その中にインドネシアのジャワ島より持ち込まれたコーヒーの木がありました。そして持ち込まれた木は風土、気候に適応し栽培に成功しました。
しかし、第2次世界大戦の際、小笠原近海は戦闘地域となり全島民が強制疎開を強いられました。
やがて日本に返還された土地も、戦後、長くアメリカの統治下におかれた為、明治初期に先人達により、開墾された土地は無残にも荒れ、ジャングルと化しました。
しかし、そのような荒れ果てた土地の中でもコーヒーの木は絶えることなく成長し、現在に至るまで脈々と受け継がれ栽培されています。 |
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